親友と夭折
2012-12-25
最近、親友とは、死とはと考えることが多い。
2012年10月6日、25年来の親友 福島大輔が脳溢血でこの世を去った。享年35歳。今の時代で言えばあまりにも早い死だ。
そして、12月25日クリスマスに納骨式とはなんとも図々しい。何様のつもりなんだか。
鈴木にも友達と呼べる人は少なからずいると思う。(向こうはどう思っているかは分からないが。)。しかし、親友と呼べるのはどれだけいるだろうか。25年、今、誰かと知り合って友人になり25年の月日を共にすれば60歳になる。そう考えるととても長い期間一緒にいたものだと感慨深い。さらに、福島が倒れたことも、死んだことも自分の母から聞かされたあたりも幼馴染感がある。たまに家出をしては鈴木家に泊まっていたので、酷い時期には「あら、ふっくんは今日いないの?」とデフォルトで食事のメンバーにカウントされていた。お互いの親兄弟から家庭環境までも知っているような間柄はもう嫁クラスの人としか築けないだろうと思う。
福島とは同じ名前であること、福島の母と鈴木の誕生日が同じであること、そして、脳溢血で倒れ運ばれたのが偶然にも父が入院中の病院など、数奇な運命を感じることが多い。今、2代目代表を務めているフットサルチームの初代代表は福島だし、今のところ本気でケンカした最後の相手も福島(無論、秒殺)。
鈴木は小中学校からずっと一緒だった親友をすでに2人も突然死で亡くしている。大災害でも戦時中でも無く、35歳にしてこの記録はなかなか稀だとは思う。
一人目は2005年3月26日 陶芸家の西田潤。第53回国際現代陶芸コンクール(ファエンツァ・イタリア)グランプリなどアーティストとして輝かしい実績を挙げながらも、インドネシアで突然、心筋梗塞で倒れそのまま帰らぬ人となった。インドネシアに行く直前に鈴木の作品作りの題材として潤を取り上げ撮影をしていた。帰国したら完成ビデオを見せると言っていたがそれも叶わず、棺桶にプラスチックを入れるのは駄目だと言われたが、DVDを大好きだったエロ本に挟んで棺桶に入れ天国に送ってあげた。
そして、福島が倒れるわずか3日前、同じ大阪市立大学都市研究プラザ研究員の林朋子さんから突然「現在、例の中川先生のプロジェクトでインドネシアに調査滞在中なのですが、以前鈴木さんに教えていただいた、西田潤さんと、その先生が関わっておられた村について、まだ興味を持ち続けていまして、この滞在に訪問することができなかな、と思っています。」と連絡を頂いた。潤の名前も世間ではあまり聞くこともないので、やはり名前が出てくると親友としては嬉しい。すぐにインドネシアにいる川崎千足先生に連絡をして紹介した。
原因をスピリチュアルなことに紐付けるのは好きではないが、今考えると潤が何らかのメッセージを送っていたのかもしれないとも思える。
潤と違い福島は社会的に何か実績を残した人間ではなないが、苦労も努力もせず、あまりにも自由気ままに生きていたので、友人たちとは「あのまま生ききったら勝ち組」と冗談で言っていた。そうしたら本当にその通り、煩わしい人間関係、押し寄せるタスク、将来への不安など、何処吹く風か、自由気ままに人生を終了してしまった。
人は生まれた瞬間に死を運命付けられていることを考えれば、何もかも散らかしっぱなしで、言いたいことだけ言い残し、一切の反論を許さずお先に早死するのは卑怯なまでに究極の勝ち逃げとも言える。
身勝手な福島が最後、唯一気を利かせたのが、お墓を潤と同じ大阪北摂霊園にしたことだ。これであちこちにお参りに行く手間は省ける。
未だ親友とは何かは分からないが、少なからず潤と福島は親友であると言っていいと思う。
まぁいずれ鈴木も後を追うわけだから、その時は同じく大阪北摂霊園に埋葬してもらおう。
現世での自慢話を肴に酒を酌み交わす日を楽しみに。
友よ、安らかに。